ならまちに女性臨床鍼灸ならまち月燈がある意味
ならまち月燈はなぜならまちにあるのか
ならまち月燈はならまちにあるから、ならまち月燈なのであって、
他の場所にあれば、全く違う名称だったと思います。
もともと、私は兵庫県の生まれ育ちで、縁あって京都市中京区に引っ越してから25年、京都で暮らした年月の方が長くなりました。
今も京都に暮らしていて、近鉄で奈良まで通っています。
来年は奈良に引っ越す予定ですが、少なくとも今年いっぱいは京都から奈良に通う予定です。
そんな私がどうしてならまちで開業したのか。
もう、これはいまの土地と建物に出会ってしまったから・・・としかいいようがないですね。
ある日突然、空から降ってきたんです…(^^;
もともと、私は奈良が大好きでした。仏教や仏像が好きなので、なんとなくぼんやりと奈良にくると、ほっとするなぁ・・・力が抜けるなぁ・・という感じがありました。
私は、もともと京都の観光業界の中にいた人間なので、どこに行っても京都の街との比較基準で見てしまいます。
もともと奈良は、観光資源がたくさんあるのに、京都に比べるととんでもなくのんびりとおっとりとしたいい街だなぁという印象を持っていました。
去年の今頃だったかなぁ・・10月に入っていた気もしますが、私の鍼灸学校のクラスメイトが、大阪北浜で鍼灸院を開業して3か月目ぐらいだったところに、遊びに行かせてもらったんですね。
とっても開放的な素敵な鍼灸院で、大阪のオフィス街のど真ん中にあるのに、なんとなくそこは、周りとは時間の流れが違うようなレトロなビルで、わぁ、こんなとこよく見つけたねぇ!!って感動するような立地でした。
彼女は私より10歳ぐらい若い女性なので、わぁ、よく勇気をもって前進したなぁ・・って尊敬もしたんです。
その頃の私自身の夢は、自宅の一室で、近所の方相手に細々と開業するかなぁ・・ぐらいのイメージでしたから。
でも、彼女の鍼灸院に見学に行かせてもらって、すっごく楽しくて、ウキウキしてしまった私は、いきなり、もし私が鍼灸院をどこかで借りて始めるとしたら、どこでしてみたいかなぁ・・・と、不動産のウェブサイトで初めて賃貸物件を探してみたのです。
京都も大阪もピンとくる場所はありませんでした。
なんとなく奈良を見てみました。奈良にもありませんでした。
で、こんな物件があればいいのになぁ・・という希望を登録してみました。
すると、三日後いまの物件が、新着物件としてメールされてきたのです!
もう見た瞬間・・・ここだと思いました。
恋におちるように、ならまちに引き寄せられた
でも 、いくらインスピレーションが走ったといっても、
とにかく見てみないとわかりません。
それに、見た瞬間こんなに私が引き寄せられるのだから、同じような気持ちの人もいるはず!
次の日の不動産屋さんのオープンを待って一番に電話し、すぐに見に行きました。
近鉄奈良駅から徒歩7分、とても便利な場所にありながら、一本路地を入ったところに
あるので、静かなゆったりと時間が流れる場所です。
窓からは、世界遺産、興福寺さんの南円堂と五重塔がみえます。同じく世界遺産の元興
寺さん、東大寺さんも歩いてすぐです。
そういった大きな寺社仏閣だけでなく、ならまちには小さなお社がたくさんあって、ま
ち全体が祈りの地、癒しの地です。
私にとっては、憧れの光明皇后さまが悲田院という施設をおつくりになられた場所も直ぐ近くです。
建物は築100年以上たつ古いものでしたが、綺麗にリノベーションされ、私が目指した物件はスケルトンの状態でしたが、古い大きな太い梁が張り巡らされた、とても奈良らしい、おっとりした建物でした。
一瞬にして、ここに女性の駆け込み寺のような安住の地をつくりたいというイメージが湧きました。
ここをアジュールとして、思いきり泣いたり笑ったりしてもらえる場所にしたい。
こころとからだを休めて、また明日から頑張ろうって思える場所をつくりたい。
鍼灸も指圧も本当にこころとからだに効くものなのに、そのよさが現代の女性にはまだ
まだよく伝わってない・・・それが、いつも私が残念に思っていたところでした。
私自身、20代、30代をさまざまな病気を抱えて過ごし、闘病生活が長かったのに、
色んな病院は訪ねても、鍼灸院へという発想はありませんでした。
でも、ならまちのここなら、いろいろな力に守られて、現代の悩み多き女性たちが辿り着いてくれるかもしれない。
ならまちにあるのだから、鍼灸院の名前にはならまちと入れたい。
それは、決定でした。
でも、はじめは○○堂にしたいなぁ・・と思っていたので、
ならまち女人堂・・とか、ならまち月輪堂・・とかなんとなく仏具屋さんか和菓子屋さんか?みたいな名前ばかり浮かんできて、一か月ぐらいそればかりで悩んでおりました。
そのうち、女性の仏性の象徴としての月と、燈を灯すという気持ちをこめて、
「ならまち月燈」という案が浮かんできました。
はじめは「がっとう」と読むつもりでしたが、女性らしいやわらかい感じがいいなという想いから、「つきのあかり」と読みがなをうつという経緯でした。
名づけるということは、そのものに息吹を吹き込むということでもあります。
名前が決まった途端、空間の性格は決定づけられた気がします。
今、ならまちまで通う途上、私は向かうだけで呼吸が整います。
そして、その空間に身を置いただけで、ホッと安らぎます。
嬉しいことに、通って下さっている女性も、ここに入るだけでホッと気持ちが安らぎます・・・と、仰ってくださいます。
これから、ここで歴史を重ねていくにしたがって、もちろん私も年齢を重ねていくわけですが、この古い古いまちのなかで、私がかさねる歳月なんてほんの一瞬。
その一瞬を、一生懸命、けなげに生きている女性たちの元気を少しでもチャージすることに使えたら、こんなに幸せなことはないと思っています。