ゆるむこころなおるからだ

   ~女性のためだけのこころとからだのカウンセリングルーム~    女性臨床鍼灸 ならまち月燈

子どものあしを観て想うこと

フリー画像のこどものあし

ホームページの方のブログの更新をしました。

 

『寝るときに靴下を履くか履かないか問題』

 

冷え症に悩む女性は不眠で悩んでいることも多く、

 

まず入眠でつまずいている方が多いです。

 

ちょうど、患者さんに「寝るときに靴下って履いたほうがいいのでしょうか?」

 

と質問されたので、その答えのような気持ちで、靴下を履かない方がいい理由を書いたのでした。

 

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その過程で、ブログの内容を想起させるような写真素材を探していたのですが、

 

入眠するためには、眠る前のこどものように手足が熱くなって、熱を放散させることが大事・・ということを書いたので、こどもの手や足の画像がいいなぁ・・と思い・・見つけると・・・泣けてきて・・・。

 

いやいや・・・自分でも、はぁ???って思いました。

 

年を取ると涙腺が弱くなって・・・と言い訳したくなります。

 

ちっちゃい子のちっちゃい手、足。

 

保育園児が無心に歌う手遊び歌。

 

小学一年生が背負うおっきいランドセル。

 

そういうのが、ダメです。

 

いきなり涙腺崩壊・・・なのです。

 

そう、私が元夫と別居生活に入ったのは、今は21歳の息子が4歳、保育園最後の年になる直前の春でした。

 

その頃のことは、断片的にしか覚えていません。

 

ただ、なんとか生活を成り立たせるために、働かなければいけない・・という気負った想い。

可愛い盛りの息子とできるだけそばにいたい想い。

息子が母子家庭で育つことについて「かわいそう」と思われたくない!という想い。

全てを投げ出して、一人になりたいような想い。

 

そんなあたりを揺れつ戻りつしていたように思います。

 

でも、いろんな想いが凍結されているのでしょう。

 

油断していると、今日のこどものあしの画像を見た時のように、いきなり号泣・・・というような憂き目に遭います。

 

ノックノック。

 

過去の私が、なにかを訴えているのかな・・・?

 

そう、ホームページのブログではなく、はてなブログではあの頃の私のような、シングルマザーに向けて、応援歌になるような記事を書きたいと思っていたのでした。

 

すっかりご無沙汰が続いていましたが、先が見えないシンママ生活のなかで、私が心の支えにしてきた、かっこいい女性たちの著書を紹介していきます。

 

今がしんどくても、必ず笑って思い出せる日がくるから、

 

既に離婚している・・・、

離婚しようか迷っている・・・、

別居している・・・

 

結婚生活につまづいている女性に、トンネルの先にある光が見えるような記事が書けたらいいな・・・と思っています。

 

そんな風に昇華できれば・・・もうちっちゃなあしをみて、泣くことはなくなるのかな・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

臨床鍼灸はこころとからだのカウンセリング

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女性臨床鍼灸 ならまち月燈 院内風景

臨床鍼灸と名づけたかったわけ

 

そんなこんなで、『ならまち月燈』は決まったのですが、

 

これだけでは何をするところかわかりません。

 

順当に考えれば、『ならまち月燈鍼灸院』もしくは『ならまち月燈鍼灸堂』なのですが、なにかピンとこない。

 

女性の駆け込み寺がイメージなので、女性鍼灸・・と思った時に、臨床をつけたい!って、また猛然と思ったんですね。

 

臨床という言葉にこだわる理由はこちら。

 

 

 

 臨床鍼灸という言葉はもともとあります。

 

鍼灸学科の授業科目にもありますし、専門雑誌にもあります。

 

でも、あまり従来の鍼灸院で見たことがないのは、臨床であるということは鍼灸にとってあまりにも当たり前だから、今まであえて言う必要がなかったんだと思います。

 

臨床とは   

   病床に臨んで診療すること。患者に接して診察、治療を行うこと

                       大辞泉

 

そう、患者さんに鍼やお灸をするということは、とにかく目の前にいらっしゃる方のお役に立つということ。

 

研究をすることでもなく、大所高所から、論じることでもなく、患者さんとともにあり、その痛みに共感し、ともに考える場所、そういう原点を常にわすれないでいたいと思ったのです。

 

 

こころとからだのカウンセリング

 

心身一如、または身心一如という言葉は、よく鍼灸院のご挨拶でも引用されることばですが、もともとは仏教用語で、肉体と精神は一体のもので、分けることができない、一つのものの両面をあらわします。

 

こころに不調があることがからだに影響し、またからだの不調がこころに影響すること、そのどちらも現代人はリアルに感じていると思います。

 

でもたとえば、ストレスを抱えていて、うつ傾向にある方が、まず鍼灸院に行こうとは思わないのではないでしょうか?

 

肩こり、腰痛・・・そういった不調に、鍼灸院という選択肢はあり・・でも、たとえば、介護うつかもしれない・・・と思った時に、鍼灸院へ行こうとはなかなかならないと思います。

 

でもね、『女性臨床鍼灸』は、そういう時にこそ、来てほしいのです。

 

女性のしんどい、つらい・・は、ただそれだけで女性臨床鍼灸の適応です。

 

あなたがしんどい時、まず肩は縮こまっているでしょう。

 

肩の上も、肩甲骨の間も、筋肉はガチガチです。

 

当然、その続きの筋肉である首も固まってきます。

 

もともと、スマホやパソコンの普及でストレートネックになりやすい女性の首はあっという間につまります。

 

すると血流が悪くなり、呼吸も浅くなります。

 

そんなからだの状態のときに、明るく楽しく過ごせるわけがありません。

 

だんだん、ものの観方の狭窄をおこし、悲観的な方向にばかりこころが傾くようになります。

気分がふさぐと、動作に機敏さがなくなり、歩幅が狭くなります。

 

すると、ふくらはぎのポンプ機能が弱り、末端まで血流が届かなくなり、冷えて、老廃物の回収、排泄ができなくなります。

 

すると、またそのからだの状態がこころに反映され・・・と、負の循環から抜け出せなくなるのです。

 

もし、「ああ、しんどいなぁ・・」「元気が出ないなぁ・・・」という段階で、鍼灸院にお越し頂けると、落ちているエネルギーをあげたり、滞っている水を流したり・・ということができます。

 

姿勢が変わり、呼吸が変わると、からだは大きく変わります。

 

すると、あんなに辛かった介護が、状況は何も変わらないにも関わらず、ご自分が主体となり、させられ感がなくなると、ハンドリングしやすくなるのです。

 

だからこそ、こころとからだは分けずに、一体として考え、一体として治し癒してほしいし、そういう場になりたいと強く思っています。

 

 

臨床鍼灸でのカウンセリング

 

カウンセリングという用語には、多種多様な使われ方があります。

 

正統というべき、臨床心理士によるカウンセリングを筆頭に、ちょっとした相談・・というようなニュアンスで使われる場合もあります。

 

『女性臨床鍼灸 ならまち月燈』のカウンセリングは、おからだに直接触れることであなたのわだかまり、生きづらさ、しんどさに触れています。

 

それは、ご希望されれば言語化しますが、普通はそのまま解釈することなく、「それ」がなくなるように、ほどけるように、流れるように施術します。

 

患者さんには、お悩みのことを施術中ずっとお話し下さるかたもいらっしゃれば、最初から最後まで一言もしゃべらずにお帰りになる方もいらっしゃいます。

 

どちらももちろんオッケーです。

 

なにかが溶けたときに、感情があふれだし、涙がとまらなくなられることもあります。

 

もちろん、それもオッケーです。

 

昔、私が神戸のカウンセリングルームに通っていた時は、私は泣くために通っていました。

 

20年以上通い、先生が高齢のため閉鎖されたので、卒業したのですが、いろんなしんどさを抱えて、京都から神戸まで通っていたのは、自分の無力感、虚無感、居場所のなさ、こころとからだの置きどころのなさを、捨てにいくためでした。

 

そのカウンセリングルームはロジャースの傾聴を基本として、私がどんな露悪的な発言をしても、ただただ受け止めてくださるだけでしたが、それだけのことがどれだけ大きな力になっていたか、私はよく知っています。

 

でも一方で、その頃心身症のような数々の身体症状を抱えていた私は、からだの悩みを、そこで解消してもらおうとは夢にも思っていませんでした。

 

カウンセリングルームはこころの悩みを解消するところ。

 

からだの悩みは、もちろん病院。

 

でも病院は、検査や数値の把握や比較によって、診断し、投薬もしくは手術をしてくれる場所であって、季節によってどうとか、生活環境がどうとか、肌の状態とか、そんなことにまでかまっていられるわけがありません。

 

私が通っていた大学病院の先生は、本当に尊敬に値する立派な方ばかりでしたが、とにかく、患者さんは待合室にあふれ、効率よく経過を話さなければ先生や他の患者さんの迷惑になると常に緊張していましたから、からだのカウンセリングなんて悠長なことをいうなんて、とんでもないことだったのです。

 

だから、『女性臨床鍼灸 ならまち月燈』は誕生する必要がありました。

 

私が、前職を辞めて、鍼灸指圧師の学校に入学を決めた時、カウンセラーの先生は本当に羨ましがってくださいました。

 

私のカウンセラーの先生は男の先生でしたから、

「悩みを抱える女性にの肌に直接触れて、大丈夫ですよ・・と言えるのはどんなに大切で素晴らしいか。」を力説して下さいました。

 

今の世の中、どんなに気をつけていても、セクハラやパワハラと相手に受け取られてしまえば弁解の余地はないですから、男性カウンセラーが女性に触れるということは、禁忌になってしまうでしょう。

 

女性カウンセラーでもあえて、肉体的な接触をすることはないでしょう。

 

でも、鍼灸指圧師が肌に直接触れるのは当たり前のことですから、ハードルが大きく下がります。

 

それを、先生はうらやましいと表現して下さったのだと思います。

 

私自身、日々、患者さんのおからだに触れながら、肌からの情報の多さに驚き、変化に驚き、こころとからだの密接さに驚き続けています。

 

からだがゆるみ、ほどけたあとの患者さんの笑顔に日々感動しています。

 

ならまち月燈は、女性臨床鍼灸であって本当によかったです。

 

こころとからだのカウンセリング、受けてみられませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ならまちに女性臨床鍼灸ならまち月燈がある意味

 

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女性臨床鍼灸 ならまち月燈周辺 猿沢池

 ならまち月燈はなぜならまちにあるのか

 

ならまち月燈はならまちにあるから、ならまち月燈なのであって、

他の場所にあれば、全く違う名称だったと思います。

 

もともと、私は兵庫県の生まれ育ちで、縁あって京都市中京区に引っ越してから25年、京都で暮らした年月の方が長くなりました。

 

今も京都に暮らしていて、近鉄で奈良まで通っています。

 

来年は奈良に引っ越す予定ですが、少なくとも今年いっぱいは京都から奈良に通う予定です。

 

そんな私がどうしてならまちで開業したのか。

 

もう、これはいまの土地と建物に出会ってしまったから・・・としかいいようがないですね。

 

ある日突然、空から降ってきたんです…(^^;

 

もともと、私は奈良が大好きでした。仏教や仏像が好きなので、なんとなくぼんやりと奈良にくると、ほっとするなぁ・・・力が抜けるなぁ・・という感じがありました。

 

私は、もともと京都の観光業界の中にいた人間なので、どこに行っても京都の街との比較基準で見てしまいます。

 

もともと奈良は、観光資源がたくさんあるのに、京都に比べるととんでもなくのんびりとおっとりとしたいい街だなぁという印象を持っていました。

 

去年の今頃だったかなぁ・・10月に入っていた気もしますが、私の鍼灸学校のクラスメイトが、大阪北浜で鍼灸院を開業して3か月目ぐらいだったところに、遊びに行かせてもらったんですね。

 

とっても開放的な素敵な鍼灸院で、大阪のオフィス街のど真ん中にあるのに、なんとなくそこは、周りとは時間の流れが違うようなレトロなビルで、わぁ、こんなとこよく見つけたねぇ!!って感動するような立地でした。

 

彼女は私より10歳ぐらい若い女性なので、わぁ、よく勇気をもって前進したなぁ・・って尊敬もしたんです。

 

その頃の私自身の夢は、自宅の一室で、近所の方相手に細々と開業するかなぁ・・ぐらいのイメージでしたから。

 

でも、彼女の鍼灸院に見学に行かせてもらって、すっごく楽しくて、ウキウキしてしまった私は、いきなり、もし私が鍼灸院をどこかで借りて始めるとしたら、どこでしてみたいかなぁ・・・と、不動産のウェブサイトで初めて賃貸物件を探してみたのです。

 

京都も大阪もピンとくる場所はありませんでした。

 

なんとなく奈良を見てみました。奈良にもありませんでした。

 

で、こんな物件があればいいのになぁ・・という希望を登録してみました。

 

すると、三日後いまの物件が、新着物件としてメールされてきたのです!

 

もう見た瞬間・・・ここだと思いました。

 

 

 

恋におちるように、ならまちに引き寄せられた

 

でも 、いくらインスピレーションが走ったといっても、

とにかく見てみないとわかりません。

 

それに、見た瞬間こんなに私が引き寄せられるのだから、同じような気持ちの人もいるはず!

 

次の日の不動産屋さんのオープンを待って一番に電話し、すぐに見に行きました。

 

 

近鉄奈良駅から徒歩7分、とても便利な場所にありながら、一本路地を入ったところに

あるので、静かなゆったりと時間が流れる場所です。

 

窓からは、世界遺産興福寺さんの南円堂と五重塔がみえます。同じく世界遺産の元興

寺さん、東大寺さんも歩いてすぐです。

 

そういった大きな寺社仏閣だけでなく、ならまちには小さなお社がたくさんあって、ま

ち全体が祈りの地、癒しの地です。

 

私にとっては、憧れの光明皇后さまが悲田院という施設をおつくりになられた場所も直ぐ近くです。

 

建物は築100年以上たつ古いものでしたが、綺麗にリノベーションされ、私が目指した物件はスケルトンの状態でしたが、古い大きな太い梁が張り巡らされた、とても奈良らしい、おっとりした建物でした。

 

一瞬にして、ここに女性の駆け込み寺のような安住の地をつくりたいというイメージが湧きました。

 

ここをアジュールとして、思いきり泣いたり笑ったりしてもらえる場所にしたい。

 

こころとからだを休めて、また明日から頑張ろうって思える場所をつくりたい。

 

鍼灸も指圧も本当にこころとからだに効くものなのに、そのよさが現代の女性にはまだ

まだよく伝わってない・・・それが、いつも私が残念に思っていたところでした。

 

私自身、20代、30代をさまざまな病気を抱えて過ごし、闘病生活が長かったのに、

色んな病院は訪ねても、鍼灸院へという発想はありませんでした。

 

でも、ならまちのここなら、いろいろな力に守られて、現代の悩み多き女性たちが辿り着いてくれるかもしれない。

 

ならまちにあるのだから、鍼灸院の名前にはならまちと入れたい。

 

それは、決定でした。

 

でも、はじめは○○堂にしたいなぁ・・と思っていたので、

 

ならまち女人堂・・とか、ならまち月輪堂・・とかなんとなく仏具屋さんか和菓子屋さんか?みたいな名前ばかり浮かんできて、一か月ぐらいそればかりで悩んでおりました。

 

そのうち、女性の仏性の象徴としての月と、燈を灯すという気持ちをこめて、

「ならまち月燈」という案が浮かんできました。

 

はじめは「がっとう」と読むつもりでしたが、女性らしいやわらかい感じがいいなという想いから、「つきのあかり」と読みがなをうつという経緯でした。

 

名づけるということは、そのものに息吹を吹き込むということでもあります。

 

名前が決まった途端、空間の性格は決定づけられた気がします。

 

今、ならまちまで通う途上、私は向かうだけで呼吸が整います。

 

そして、その空間に身を置いただけで、ホッと安らぎます。

 

嬉しいことに、通って下さっている女性も、ここに入るだけでホッと気持ちが安らぎます・・・と、仰ってくださいます。

 

これから、ここで歴史を重ねていくにしたがって、もちろん私も年齢を重ねていくわけですが、この古い古いまちのなかで、私がかさねる歳月なんてほんの一瞬。

 

その一瞬を、一生懸命、けなげに生きている女性たちの元気を少しでもチャージすることに使えたら、こんなに幸せなことはないと思っています。

 

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女性臨床鍼灸 ならまち月燈ができるまで

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女性臨床鍼灸 ならまち月燈 院内風景

 鍼灸院の今までのイメージ

 

鍼灸院のイメージって、どんな感じでしょう。

 

もちろん、人によって違うのは当たり前なのですが、一番多いのは大きな通りの路面店、【 ○○(地名)鍼灸接骨院 】ではないでしょうか?

 

入ると5台ぐらいベッドが並んでいて、カーテンで区切られていて、電子機器が並んでいて、蛍光灯に煌々と照らされた明るい白い店内。

白衣を着たにこやかな男性施術者、窓には交通事故保険適応、スポーツ障害ご相談ください・・のような文字。

 

私は、今まで自分が交通事故ともスポーツでのケガにも無縁だったので、そういういわゆるがつくような鍼灸接骨院には行ったことがありません。

 

だから、自分が病院に行くほどでもない不調、肩こりや冷え症、生理痛などに悩んだ時に鍼灸院に行くという発想はありませんでした。

 

薬を飲むのは嫌だったので、色々なリラクゼーションサロンのようなところに行ってしのぐとか、まぁ放っておいたというのがほとんどですね。

 

ましてや、私には10年におよぶ関節リウマチとの闘病経験があるのですが、関節リウマチの治療といえば、新薬で治療するのが選択肢としては一択だと思っておりました。

 

8年目ぐらいの時に漢方をすすめられ、それが即効し、またそのころストレスの原因だった前職を辞めたことで、一気に寛解に向かい、それ以降東洋医学に興味が湧いた私は、初めて女性が一人で治療されている鍼灸院をネットで探して、行ってみて、そこで初めて、関節リウマチのような免疫疾患に鍼が特効することを先生に聞いたのです。

 

結局、その経験がもとになって、その先生が卒業された鍼灸学校に三年間通い、鍼灸師となりました。

 

その間、様々な鍼灸院に行ってみました。

 

鍼灸院とひとくくりにされることが、理不尽なほどのバラエティに富んでいました。

 

路面店で大きな看板をあげている鍼灸接骨院は目立つので、そういうところが大半のように思われますが、パーセンテージとしては一番多いのは間違いないでしょうが、私が行ってみたいと思うのは、たいてい雑居ビルやマンションの一室や、自宅の一画でされている鍼灸院でした。

 

そこでは、たいてい鍼灸師一人で治療にあたっていて、治療はもちろん、空間設計もインテリアも全て鍼灸師の個性が色濃く出ています。

 

鍼灸師との相性はもちろんですが、空間との相性というのもあって、なんか落ち着くなぁ・・とか、おしゃれなんだけど、落ち着かないなぁとか、置いてある小物一つにも、しっくりくるこないがありました。

 

一般的にはの話ですが、鍼灸院にはそういう空間にこったり、マーケティング的にうける院つくりをすることを、あまりお勧めしない空気があります。

 

鍼灸師は腕を磨く、勉強することが第一であって、それさえあれば患者さんはついてくる・・という考え方です。

 

もちろんそれは王道だと思います。

 

でも、空間は患者さんにリラックスして頂く要素そのものなので、私は譲れないものが結構ありました。

 

まず、私は蛍光灯が苦手で、白日の下にさらされる感じがダメなんです。

 

もちろん、鍼灸院は基本的に医療関係機関ですから、明るくして患部をよく見ることも大事なんだと思います。

 

でも、煌々とさらけだしてみなければいけないようなものは、私にはないので、暗めの照明はマストでした。

 

あとは香り。私はお灸のよもぎの香りが大好きなので、お灸の香りの中にいるだけで心が落ち着きます。また、お香を焚くのも心安らぐ時間なので、お香も。

 

鍼灸院によってはアロマをディフューザーで焚いていらっしゃるところもあるのですが、アロマ自体はとても好きなのですが、洋風の香りと和風の香りがうまくなじまない気がして、一貫して和のもので統一したい。

 

そして、音。無音はかえって落ち着かないし、ラジオは耳がそっちに持っていかれて集中できない。基本は、波の音や雨の音、自然の音。邪魔しない二胡の音楽や、自律神経とか、α波に効くような音楽。

 

そんな香りや音に満たされた空間なら、まず、私自身がリラックスして施療にあたれるし、それがより患者さんの自己治癒力にゆっくり働きかけるんじゃないのかなぁ・・・って思ってました。

 

 

女性のためだけのカウンセリングルーム

 

私自身は、女性なので、女性の気持ちには共感しやすい。

 

女性のからだのことは、たとえ経験がない症状でもイメージがしやすい。

 

だから、はじめから女性専門の鍼灸院にしたいと思っていました。

 

排泄や生殖、性的な悩みは男性の先生には話しにくい。

 

鍼灸学校のクラスメイトの半分は男性でしたが、実習の時間の問診でもやはり生理のトラブルなどは話しにくいし、つい言わずにすませてしまってました。

 

それに、鼠径部や仙骨のあたりって婦人科系の疾患のときは、是非ともお灸したりマッサージしたい場所なのですが、施術者が男性だと、どうも遠慮があって露出も控えてしまうし、なんとなく微妙な場所になるとからだもこわばってしまう。

 

だから、女性が女性だけのために・・と思ってました。

 

そして、カウンセリングルーム。

 

これは、私はもともとはるか昔の高校時代、学校に不適応をおこしてカウンセリングルームにだけ登校できていたんですね。

 

そのスクールカウンセラーの先生には結局、高校卒業してからもずっとなにかある度にお世話になっていました。

 

私が今こうしてあるのも、その先生のおかげです。

 

高校時代の経験から、大学は臨床心理学専攻だったのですが、その頃はまだ臨床心理士の資格もちゃんと確立してなくて、卒業後は心理専門職に就くこともなく、就くイメージももっていませんでした。

でも、関節リウマチで苦しんでいたころ、そのころの仕事を一生続けられる気がしなくて、臨床心理士の指定大学院受験のための予備校に通っていた時期もありました。

 

自分の抱えるストレスと病気の関係にも気づいていて、カウンセリングには本当に助けられました。

 

でも、心理療法だけでは治らない・・と思ったのも事実でした。

 

そんなときに、鍼灸や指圧に出会い、こころとからだをつないでいるところ、そのカウンセリングができる場がつくれればどんなにいいだろうと思ったのです。

 

女性はとくにこころとからだが連動しています。

 

からだが楽になれば、こころが元気になることも、

 

こころが楽になったから、からだが元気になることも両方あります。

 

だから、とにかくしんどいとき、どこにいけばこのつらさが解消されるかわからない時、とりあえず相談してみよう・・・ってもらえる場所を作りたかったのです。

 

だから、『女性臨床鍼灸 ならまち月燈』は、鍼灸院ですが、

 

『こころとからだのカウンセリングルーム』と名づけるほうがふさわしいと思っています。

 

こころでもからだでも、なにか不調があれば、駆け込み寺のように女性が飛び込んできてくれる、そんな場所になれればいいなぁ・・と日々思いながら施術しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間は、治るようにできている

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人間は治るようにできている 福田稔


なぜ、自律神経と免疫の関係が大事なのか

 

福田先生。福田大先生。2014年に亡くなられました。

 

膨大な著作を残されているのに、Wikipediaなどの記述はありません。

 

盟友であった安保徹先生も一昨年お亡くなりになりました。

 

お二人は自律神経免疫療法研究会を設立され、「福田ー安保理論」をもとに薬や医師に安易に頼らず、免疫的発想から病の根源を理解すれば、がんもアレルギー疾患も炎症も高血圧も、すべて慢性疾患は快方に向かうんだということを主張されました。

 

お二人の共著や対談本も多々あるのですが、福田先生は別に2013年に気血免疫療法会を立ち上げ、この著作は気血免疫療法会理事長としてのものです。

 

『自律神経免疫療法』=『全身刺絡療法』であって、

刺絡とは、手足の指先にあるツボや頭頂部にあるツボに鍼を刺し、わずかに出血させるという東洋医学的手法なのですが、横浜の浅見医師の主宰する勉強会で、その効果をまのあたりにされた先生は、すぐにそれを取り入れられ、洗練されていかれました。

 

はじめは、注射針にはじまり、レーザーや電子針、磁気針という出血させない針に移行されたのですが、注射針を刺した方がすっきりするという患者さんの声から、注射針と磁気針を併用し、お灸も取り入れられるようになりました。

 

ところが、全国で行われていた『自律神経免疫療法』の中には、薬を併用したり、そもそもの先生の臨床理論とは離れた治療がなされているような報告があり、福田先生は、ご自分が打ちたてた『自律神経免疫療法』の名を譲られて、新たに『気血免疫療法』と称されたのでした。

 

40代以上の方なら記憶に残っている方もあるかもしれませんが、一時期流行した「爪もみ療法」も先生のご発案ですが、先生の治療法は常に進化していました。

 

今は長女の福田理恵先生が、東京目白の鍼灸院で『気血免疫療法』による治療と、後進の育成を引き継いでいらっしゃいます。

 

私も一度だけ治療を受けたことがあるのですが、非常にパワフルな迫力に満ちた治療でした。

 

その日はホテルのベッドに横たわったきり、起き上がれないほどでしたが、次の日の爽快な目覚めは忘れられません。

 

 

先生はもともとご自身が腕のいい外科医であられたのに、対処療法の薬や手術に批判的で、メスを捨て、磁気針というご自身が開発された鍼一本で患者さんの治療をなさっていました。

 

当然、西洋医学会や製薬会社からは反発を受けたでしょう。

 

今、目次を眺めていても、激烈な西洋医学への批判の言葉が並びます。

 

医者が病気を治せないのは、医療のあり方が間違っているからだ!

 

人間を診ない「パソコン医者」には病気を治せない!

 

ホルモン療法は免疫系に直接的にダメージを与える!

 

難病は薬を乱用する医療が作った「医原病」だ!

 

医者は医療の原点である「手当て」を忘れるな!

 

というような、全て!マークつきです。

お医者様だったから書けることですし、お医者様だからこそのジレンマもあったのだと思います。

 

 

なぜ、自分で治せる人と治せない人がいるのか

 

一方で、患者にも厳しい言葉が並びます。

 

「病は気から」というが、病気を治すのも本人の気、すなわち「自分で病気を治す」という気力である。というのも、病気は自分が作り出したものだからこそ、自分の力で治すことができるし、どんな治療を選んだとしても、最終的には自分で治していくしかない。

 

 

病気を作るストレスも、元をたどればおそらくそうした魂のゆがみに行き着くはずであり、自分を大切にする、人間を大切にすることが病気を治すいちばんの近道といえる。

 

当時、先生の治療はテレビ放映されたこともあり、先生の病院には全国から患者さんが殺到していました。

 

ステロイドを希望するアトピー性皮膚炎の患者さんや、末期がんの患者さんなどわらをもつかむ気持ちで集まった人も多かったでしょう。

 

でも、先生に依存して治してもらおうと、患者さんがもたれかかることを先生は何度も戒められています。

 

自分が治ろうとする強い心をもって、自分自身で闘わなければだめだと。

 

それでも頼って来られる患者さんに、人情家の先生はNOといえず、命を削ってしまわれたような気がします。

臨床家として、治療家として、本当に尊敬すべきお医者様でした。

 

 

人間は治るようにできている

 

私が今、施術しながら常に思うことはこの言葉です。

 

私が治すのではない、患者さんが治っていかれるそのお手伝いをさせて頂いているだけだと。

 

体温を上げる

血流をよくする

老廃物を出す

 

氣、血、水の滞りは万病の元であるという元々の東洋医学の思想と相まって、ならまち月燈の施療も、この三つに尽きます。

 

患者さんの免疫力、自己治癒力にスイッチをいれること、それが全てです。

 

「それでも地球は動いている」とつぶやいたガリレオガリレイのように、

 

「それでも人間は治るようにできてる」とつぶやいて福田先生は、去っていかれたように思えて、その後ろ姿は私の憧れであり、永遠の目標です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野口晴哉先生の整体について

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野口晴哉 整体入門 ちくま文庫


整体ということば

私にとって、こころについての最高権威が河合隼雄先生なら、


からだについての巨人は野口晴哉先生です。



野口先生は、お会いしたことはないんですけど、


尊敬しすぎて呼び捨てできない(^^;


没後40年以上が経ちますが、今なお崇敬される、


熱心な信者さんのような先生方がたくさんいらっしゃいます。



今、整体という言葉は、昔からの言葉のように普及していますが、



野口先生の造語なのかどうかは別として、


広く世の中に普及させたのは、間違いなく野口先生の功績です。



私が、こころとからだについて、学びたいと思った時に、


一番に「整体協会」で学ぶことを考えました。



結局、体系的に学びたい、鍼灸も学びたい、国家資格を取りたい・・・と考えて、



鍼灸師と按摩マッサージ指圧師、


いわゆる三療の国家資格がとれる専門学校に入学したのですが、


いまだに、野口整体の整体師は憧れです。


整体師ということばは、かなりあいまいで、


それこそ自分で整体師です・・・と名乗ってしまえば、


整体院をその日から開くことだってできます。


いろんな整体法があって、


はっきりいってなんでもありの玉石混交の整体の世界ですが、


野口先生の考え方に基づく整体法は、別格だと私は思っています。



「体を整える」



もちろん、それはそれぞれ自分で整えるようにという運動でもあるのですが、



人のからだをちゃんと整えられるひとになりたいというのは、私の一生の目標です。



「氣」は心ではない


からだを整えるにあたって、「氣」ということが最重要になります。


東洋医学でも「氣・血・水」を全身に巡らせることを再三説きますが、


「氣」とはなにか?は、またいろんな角度から掘り下げてみたいと思うのですが、


野口先生はどのように考えられていたのか。

「気」は見えません、触れません。ただ感じるだけです。
五感で感じるわけではありません。山の中でも水があれば、水の気を感じます。
火があれば火気を感じます。街の盛り場などの空は人の気が上がっております。

気が張っていると、苦しいことも痛いことも感じません。気が凝ると、そのことにしか心が働きません。
~(中略)~気が沈むと自分のことしか考えられず、なんでも陰気に感じ、笑い声まで空々しく感じます。
強気な時は何でも活気に映ります。

「気は心」といいますが、心そのものではありません。
ただ気の動くように心が動くだけです。心だけではありません。
からだも気の行く方に動きます。


そう、気の方向にからだって動くんですよね。


そして野口整体に特徴的なものに愉気法」というものがあります。


気をおくり、気を通して元気をよび起こすという愉気


ですが、まだ私が野口先生も知らず、


体にたいする興味のなかった20代に一度経験があるんです。


そのころ所属していた学会で、頭が痛くてうずくまっていた私に、


その場に居合わせた野口整体のお弟子さんだという方が


愉気をして下さったんですね。


それは、とても不思議な体験でした。すうっと。


本当にすうっと、頭痛は消えたんです。


その方とは二度とお会いすることはなかったですし、


永らく忘れていたことでもあったんですが、


野口整体ということばと、


頭に手をかざされたあたたかい感覚はずっと残っていたんです。


体癖ということば

野口先生には、そのものずばりの「体癖」というちくま文庫の御著書があるので、


またその御著書で詳しくお話しますが、


人間の身体運動は一人一人異なっていて、


その癖によって表現されるものが違うという考え方があります。


十二の体癖に分類されていて、その分類の方法がまたユニークなのですが、


私も日々、患者さんのからだを診ていて、


基本的には鍼灸の経絡治療の分類の仕方で診るのですが、


それにどうしてもあてはまらない時に、


この体癖で見直して考え直すことがあります。


そうすると、わからなかったことがふとわかるときがあるんですね。


もちろん、まだ未熟なので診た途端わかるわけではないのですが、


カルテをみながら、症例を丹念にみていると


ふと浮かび上がってくることがあります。


言葉のかけ方ひとつでも、二種の体癖の方と三種の体癖の方とでは、


変えないと耳に届かないというようなことがあります。


また、そのパターンというのが星雲のように無数にあるので、果てしないというか、


勉強しがいがあるというか、とにかく飽きないのです。


野口先生、偉大過ぎます。



一生読み解いて、わかりやすくみなさんに説明していきます。

20年後のシングルマザー

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** まだ幸せだった息子2歳の頃


今日は私がシングルマザーだった頃の話を書きたいと思います。


息子は今、東京の大学4年生で、就活が昨日終わりました。


上の写真は息子の2歳の保育園入園式のもの。ちょうど20年前になります。


その頃私は、28歳、結婚して3年後に息子を授かり、


当時の夫とも仲睦まじく暮らしておりました。


元夫の実家は京都の料理旅館でしたので、


私はそのお手伝いをフルタイムでしておりました。


私の実家は、田舎の公務員、環境の差、感覚の差はものすごく、


その差がのちの別居、離婚に結びついていくのですが、


写真の頃は穏便な頃だったでしょう。


別居したのは、息子が年長さんにあがる時。


職業はそのままに、元夫だけが出ていくというイレギュラーな形でした。


当時どんな風に考えていたのかはもうよく覚えていませんが、


息子の生活環境を変えたくないと思うとそういう選択になったんだと思います。


その頃のこと、あんまりもう覚えていないのですが、


近くの保育園から「雨降りくまの子」とか「キャベツの中から」


とかのメロディーが聴こえてくると、


条件反射のように、涙が止まらなくなってしまうので、


きっと悲壮な思いで毎日を過ごしていたんだと思います。


そして、息子も母一人子一人だったゆえか、


あまり無理なことをいうこともなく育ちましたが、


さみしい思いも当然したと思います。




** かわいそうって言われたくない




今でもはっきり覚えていることは、


かわいそうという言葉にものすごく過敏だったことです。


お父さんいないからかわいそう、一人っ子だからかわいそう・・


もうそういう言葉にハリネズミのように神経をとがらせてました。


特に実家の母は専業主婦で、私に(私も一人っ子なんですけど)、


エネルギーの100%を注ぎこんで育ててくれたような人なので、


荒っぽい私の放ったらかしの育児がもう信じられないほどかわいそうならしく、


お世話にならなければやっていけないのに、


子どもがかわいそうと書いてある母の顔を見るのが一番つらい…


という心境にドはまりしておりました。


まぁそんなこんなで、別居生活は息子15歳の10年間、


息子が高校入学する機会に離婚して今年で7年、


息子が20歳の時に、私は再婚したので、


純粋なシングルマザー時代は15年ですね、



とにかくこの時代を私はどうサバイバルしてきたのかを、


少しずつ書いていきたいと思います。




** シングルマザーって楽しい!って言ってもらいたい。




今は、シンママって言葉も普及して、ブログも爆発的に増えて、


シングルマザーどうしの交流も私の頃より増えてると思います。


でも、シングルマザーと一言でいっても、状況や環境は本当にさまざまです。


元夫との関係だって、良好という人もいるでしょうし、


居場所をしられることにさえ怯えなければいけない人もいる。


実家との関係も、経済状況も千差万別です。かえって、


リアルな人間関係の中ではいえないことの方が多いかもしれません。


私は、当時関節リウマチという病気を抱えていて、


いつ働けなくなるか、それも大きな恐怖でした。


関節リウマチは自己免疫疾患で、完治という言葉はないといわれていますが、


当時の仕事を辞めると治ってしまいました。


でも今の鍼灸指圧師という仕事に出会えたのは、間違いなく離婚したからだし、


関節リウマチになったからなので、


もう本当に、今となると感謝しかないのです。今が本当に幸せだから。


でも、20年前の私も、10年前の私もそれを知りません。


息子を「早く早く」と追い立て、「ママ、見てて~」とまとわりついてくるのに、


「見てる見てる」とゆっくり見てなかった私。


息子が巣立つ年になって、本当にそこだけが後悔として残っているんですね。


だから、今、子育てに奮闘中のシングルマザーをとにかく応援したい。


大丈夫、大丈夫、どんなこともなんとかなっていくから、


今、目の前の子供との時間を楽しんでって声をかけたい。


そうそう、当時勇気づけられた色んな女性作家の本も紹介したいなぁ。


もう今となっては、20年前の本でも古典のようになってるかもしれないけど、


誰かのなにかのお役には立てるかもしれない。


そんな想いで、書き始めました。


そして、シングルマザーも楽しいよね!


って言える女性が増えたらいいなぁって、


そんな想いで書き続けます。