臨床鍼灸はこころとからだのカウンセリング
臨床鍼灸と名づけたかったわけ
そんなこんなで、『ならまち月燈』は決まったのですが、
これだけでは何をするところかわかりません。
順当に考えれば、『ならまち月燈鍼灸院』もしくは『ならまち月燈鍼灸堂』なのですが、なにかピンとこない。
女性の駆け込み寺がイメージなので、女性鍼灸・・と思った時に、臨床をつけたい!って、また猛然と思ったんですね。
臨床という言葉にこだわる理由はこちら。
臨床鍼灸という言葉はもともとあります。
鍼灸学科の授業科目にもありますし、専門雑誌にもあります。
でも、あまり従来の鍼灸院で見たことがないのは、臨床であるということは鍼灸にとってあまりにも当たり前だから、今まであえて言う必要がなかったんだと思います。
臨床とは
病床に臨んで診療すること。患者に接して診察、治療を行うこと
そう、患者さんに鍼やお灸をするということは、とにかく目の前にいらっしゃる方のお役に立つということ。
研究をすることでもなく、大所高所から、論じることでもなく、患者さんとともにあり、その痛みに共感し、ともに考える場所、そういう原点を常にわすれないでいたいと思ったのです。
こころとからだのカウンセリング
心身一如、または身心一如という言葉は、よく鍼灸院のご挨拶でも引用されることばですが、もともとは仏教用語で、肉体と精神は一体のもので、分けることができない、一つのものの両面をあらわします。
こころに不調があることがからだに影響し、またからだの不調がこころに影響すること、そのどちらも現代人はリアルに感じていると思います。
でもたとえば、ストレスを抱えていて、うつ傾向にある方が、まず鍼灸院に行こうとは思わないのではないでしょうか?
肩こり、腰痛・・・そういった不調に、鍼灸院という選択肢はあり・・でも、たとえば、介護うつかもしれない・・・と思った時に、鍼灸院へ行こうとはなかなかならないと思います。
でもね、『女性臨床鍼灸』は、そういう時にこそ、来てほしいのです。
女性のしんどい、つらい・・は、ただそれだけで女性臨床鍼灸の適応です。
あなたがしんどい時、まず肩は縮こまっているでしょう。
肩の上も、肩甲骨の間も、筋肉はガチガチです。
当然、その続きの筋肉である首も固まってきます。
もともと、スマホやパソコンの普及でストレートネックになりやすい女性の首はあっという間につまります。
すると血流が悪くなり、呼吸も浅くなります。
そんなからだの状態のときに、明るく楽しく過ごせるわけがありません。
だんだん、ものの観方の狭窄をおこし、悲観的な方向にばかりこころが傾くようになります。
気分がふさぐと、動作に機敏さがなくなり、歩幅が狭くなります。
すると、ふくらはぎのポンプ機能が弱り、末端まで血流が届かなくなり、冷えて、老廃物の回収、排泄ができなくなります。
すると、またそのからだの状態がこころに反映され・・・と、負の循環から抜け出せなくなるのです。
もし、「ああ、しんどいなぁ・・」「元気が出ないなぁ・・・」という段階で、鍼灸院にお越し頂けると、落ちているエネルギーをあげたり、滞っている水を流したり・・ということができます。
姿勢が変わり、呼吸が変わると、からだは大きく変わります。
すると、あんなに辛かった介護が、状況は何も変わらないにも関わらず、ご自分が主体となり、させられ感がなくなると、ハンドリングしやすくなるのです。
だからこそ、こころとからだは分けずに、一体として考え、一体として治し癒してほしいし、そういう場になりたいと強く思っています。
臨床鍼灸でのカウンセリング
カウンセリングという用語には、多種多様な使われ方があります。
正統というべき、臨床心理士によるカウンセリングを筆頭に、ちょっとした相談・・というようなニュアンスで使われる場合もあります。
『女性臨床鍼灸 ならまち月燈』のカウンセリングは、おからだに直接触れることであなたのわだかまり、生きづらさ、しんどさに触れています。
それは、ご希望されれば言語化しますが、普通はそのまま解釈することなく、「それ」がなくなるように、ほどけるように、流れるように施術します。
患者さんには、お悩みのことを施術中ずっとお話し下さるかたもいらっしゃれば、最初から最後まで一言もしゃべらずにお帰りになる方もいらっしゃいます。
どちらももちろんオッケーです。
なにかが溶けたときに、感情があふれだし、涙がとまらなくなられることもあります。
もちろん、それもオッケーです。
昔、私が神戸のカウンセリングルームに通っていた時は、私は泣くために通っていました。
20年以上通い、先生が高齢のため閉鎖されたので、卒業したのですが、いろんなしんどさを抱えて、京都から神戸まで通っていたのは、自分の無力感、虚無感、居場所のなさ、こころとからだの置きどころのなさを、捨てにいくためでした。
そのカウンセリングルームはロジャースの傾聴を基本として、私がどんな露悪的な発言をしても、ただただ受け止めてくださるだけでしたが、それだけのことがどれだけ大きな力になっていたか、私はよく知っています。
でも一方で、その頃心身症のような数々の身体症状を抱えていた私は、からだの悩みを、そこで解消してもらおうとは夢にも思っていませんでした。
カウンセリングルームはこころの悩みを解消するところ。
からだの悩みは、もちろん病院。
でも病院は、検査や数値の把握や比較によって、診断し、投薬もしくは手術をしてくれる場所であって、季節によってどうとか、生活環境がどうとか、肌の状態とか、そんなことにまでかまっていられるわけがありません。
私が通っていた大学病院の先生は、本当に尊敬に値する立派な方ばかりでしたが、とにかく、患者さんは待合室にあふれ、効率よく経過を話さなければ先生や他の患者さんの迷惑になると常に緊張していましたから、からだのカウンセリングなんて悠長なことをいうなんて、とんでもないことだったのです。
だから、『女性臨床鍼灸 ならまち月燈』は誕生する必要がありました。
私が、前職を辞めて、鍼灸指圧師の学校に入学を決めた時、カウンセラーの先生は本当に羨ましがってくださいました。
私のカウンセラーの先生は男の先生でしたから、
「悩みを抱える女性にの肌に直接触れて、大丈夫ですよ・・と言えるのはどんなに大切で素晴らしいか。」を力説して下さいました。
今の世の中、どんなに気をつけていても、セクハラやパワハラと相手に受け取られてしまえば弁解の余地はないですから、男性カウンセラーが女性に触れるということは、禁忌になってしまうでしょう。
女性カウンセラーでもあえて、肉体的な接触をすることはないでしょう。
でも、鍼灸指圧師が肌に直接触れるのは当たり前のことですから、ハードルが大きく下がります。
それを、先生はうらやましいと表現して下さったのだと思います。
私自身、日々、患者さんのおからだに触れながら、肌からの情報の多さに驚き、変化に驚き、こころとからだの密接さに驚き続けています。
からだがゆるみ、ほどけたあとの患者さんの笑顔に日々感動しています。
ならまち月燈は、女性臨床鍼灸であって本当によかったです。
こころとからだのカウンセリング、受けてみられませんか?